ブログというもの
ブログ。
存在を知ったのは、おそらく中学生の時だ。
ぼくも始めよう。
そうおもったのは今回が最初ではない。
むしろ何回目な数え上げる方が難しいだろう。
実際に浪人していたときにはアメブロをやっていた。
文章は書くのは好きだ。文章を書いていると自分の考えが整理される。
自分がなにを考えていたのかわかってくる。
そして、自分が本当はどう感じたいのかもわかってくる。
ぼくは往々にしてそれを自分が感じたことのように書いてきた。
それはなにも文章を書くときだけではない。
自分はこう感じたい、こう思っていたい、こういうふうに考えていればこの人には受けるだろう、この人には評価されるだろう、そんなふうに考えを巡らせて、言葉をつなげてきた。
残念ながら、ぼくに使える言語はこの言語だけだ。日本語はすごく好きだ。それはおそらく、情報量が増えてくると同じ情報を、まるで絵を描くように微妙なニュアンスを変えて伝えることができるからだろう。
これまでのぼくは、自分と向き合うことが絶望てきに下手で、しかも言葉をつなぐのが、けっこううまかった。だから、なにかがうまくいったときに周りに感謝を伝えることはかなり得意だったし、相手が言ってほしいことがわかればあとはそれを言葉にすることも容易だった。
しかし、一方で、なにかがうまくいかないとき、あまり自分と向き合うことをしてこなかった。時には、うまく日本語をつないで周りも自分もごまかしたこともあった。
このことがわかった以上、こんなことはやめなくてはいけない。もちろん、人にはよくおもわれたいし、少しでもかっこよくなりたい。でも、だからといって自分が感じていないようなことを、言葉だけつないで表現したり、自分はここではこう考えているべきだという”理想てきな”考えを、本当は持っていないようにもかかわらず持っているようにふるまったりすることは、もうやめなければいけない。階段は、1段ずつ上らないといけない。
とりあえず、いまの目標は国家公務員総合職試験経済区分1次試験合格だ。もっとも、1次合格は2次試験合格の手段でしかない。1次試験合格すれすれの点数は敗北に等しいとすらいえない。ただの敗北だ。
しかしながら、この試験はただ合格すればいいというものではない。ただ合格すればいいというような試験勉強の仕方をしていていい歳ではない。しっかり自分と向き合って自分が成長するためのステップにしなければいけない。
必ず、勝つ。そして、その過程で成長する。
それが、色々なことから逃げた大学生活を経て、いま、自分に必要なことだと考えている。
ブログの終わらせ方は決めていないけど、ひとまず決まるまでは好きな歌の歌詞を欠いておこうとおもう。
ないものを探せば 数え切れないけれど
ゆっくり愛してみよう 私というこの命を
Superfly 「Beautiful」